ケイトのテーマ 映画「目撃」より

 
 
 

マスカーニ / 歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》 間奏曲

 
 
 

For You (ジョン・デンバー) 

 
 
 

 

めぐり逢い (アンドレ・ギャニオン)

 
 
 

 

偉大なマスターとは

誰が本物のマスターなのか?

けっこう気になる話題ですよね。最近、そのような記事をよく見かけます。

現役の教師の中で、誰が最も優れているのでしょうか?

私には、まったく見当もつきません。

ある教師は、見込みのない探求者はバッサリ切り捨てるそうですよ。

怖いですねえ。恐ろしいですねえ。

そのような師につく場合、自分が真の探求者かどうかが非常に重要になってくるわけです。

しかし、それを見分けるにはどうすればいいのでしょうか?

色々と考えられます。

真の探求者の質として、ひとつに真剣さがあげられます。

どのくらい目覚めたいのか?死ぬほど必死なのか、そうでないのか?

あるいは誠実さや正直さなど。どれも探求者にとって重要な資質ですよね。

しかし、これら以外にも判断基準はあると思います。

例えば、自分を取り巻く環境です。

ある人は、あまり仕事もせず、それでいてお金にも困らず、世界を巡り歩き、覚者のリトリートに参加する。

いわゆる自由人です。

ある人は、日々仕事に追われ、探求どころではありません。家族を養うのに必死です。

この違いはなんなのでしょうか?

私が思うに、カルマですかね。

あるいは運命かもしれません。

その点で言えば、私は真の探求者ではありません。

しかし、まったくスピリチュアルな事に関心がない人でも、進化した魂である場合も考えられます。

今生ではスピリチュアルなこと以外の、違った体験を求めている可能性だってありえます。

要するに、傍から見ただけでは分からないという事ですかね。

ここで思うのは、

真の探求者でなければ、ダメなのか?

という事です。

ある人々は、進化も成長も遅れているかもしれません。

しかし子供を見て、成熟していないからダメだという大人はいません。

ただ単に時期の問題です。

逆に言えば、未熟だからこそ伸びしろがある。学べることも多くあります。

例えばOSHO。

アジズによれば、OSHOは悟りを説くマスターではなかったそうです。なぜなら多くの弟子達はまだ、目覚める準備が出来ていなかったからです。

しかし、悟りを教える事が必ずしも最も高い助けではないとも語っています。

受け取る人の限界の中で助けること。

だからこそOSHOは、多くの人を助けることが出来たとアジズは言います。 

なので重要なことは、誰が最も優れたマスターかではなく、

誰が今の自分を助けてくれるのか?

だと思うのです。

私はそれ以外のことには、あまり興味がありません。

仕事で悩んでいれば、偉大な師より、上司や先輩に助けを求めた方が良い。

当たり前です。

近所のおばさんが助けになる場合もある。

私は昔、2キロも離れていないところに住んでいたおばさんから、レイキとオーラソーマを教わりました。

その時々で、その人に必要なものは変わります。

マスターだって変わるかもしれません。

そう思えば、今まで学んできた教師、すべてに感謝できるはずです。

だから、誰が最も偉大なマスターかどうかなんて・・・

 

どうでもいいんじゃない?